パソコンのおもひでVol1
ここの所PCやらスマホやらの記事が多かったので
ついでと言ってはなんですが、
σ(゚∀゚ )ワタスのパソコン遍歴などつらつら書き散らします。
私が初めてPCに触れたのは中学生の頃でした。
NEC 6001mkⅡ 価格? 1983年7月発売
もちろんプログラムなんて組めるはずもなく、ゲームで遊んでいたのですが
ハードディスクはおろか、フロッピーディスクドライブも付いていませんでしたので
記憶媒体はカセットテープでした。こんなヤーツ↓
これで記録されているカセットテープからデータをロードしてプログラムを実行するのですが
ロードに10分以上かかるのは当たり前で
ロード中にエラーが出ると最初からやり直しと言うのもしょっちゅうでした。
で、結局待ちきれない友人は野球盤に興じてましたね(笑)
その時のソフトがこれです。惑星メフィウス↓
確かコマンド総当たりのADVゲームでしたが
描画のスピードが致命的に遅くて、一画面1、2分かかりました(笑)
しかし、パソコンと言う近未来的な物を目の当たりにし、
実際に触れた事実に興奮した事を今でも鮮明に覚えています。
その後、また別の友達の家に遊びに行った時に、
親父さんのPCで遊ばせてもらったのがこれです。
NEC 9801F 価格? 1983年10月発売
記憶が定かではないのですが、時代背景的にこの機種だと思います
9801はビジネス向けのPCだったのでホビー用のPCよりも(その当時では)高スペックでした。
もちろんお値段もびっくりするくらい高性能高価格でした
その時に触ったソフトは・・・夢幻の心臓というRPGでした。
夢幻の心臓・・・インパクトの有る名前で今でも覚えてますねw
このソフトとの出会いが後のRPGフェチ好きの礎になった気がします(´Д`)
9801にはフロッピーディスクドライブが搭載されていたので
処理能力は先の6001に比べたら雲泥の差でした。
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しかし、その後ファミコンなどの家庭用ゲーム機が発売され
安価にコンピューターゲームをプレイ出来るようになり、
加えて高校入学と同時にPUNXに目覚めてしまい(笑)
ホビーPCからはちょっと距離を置くこととなります
高校は情報処理科で、当時の大学並みの設備があり、
一人1台PCが使用できましたので、PCに触れなくなる事は有りませんでしたけどねー(´∀`)
確か富士通のFACOM M360って言う超大型汎用コンピューターだったと思います。
中央電算室ってところにでっかい箱みたいなのが並んでいて、
常にエアコンが効いていて、夏の掃除当番が待ち遠しかったです(笑)
ここではCOBOLとかFORTRANとかを学んだ記憶がありますが
全て記憶の彼方へ消え去ってしまっています(笑)
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そして高校を卒業し、金で2年の時間を買って行きたくもなかった短大に進学、
バイトとバンドに明け暮れていました。
3つのバイトを掛け持っていたおかげで、親に借りた授業料を返済しても
ちょっと余裕が有りましたので、とうとう手を出してしまいました(゚∀゚)
NEC 8801FA 168,000円 1987年10月発売
購入したのは発売からちょっと経っていたのでそこまで高くなかったのですが
それでも10マソ以上吹っ飛びました(´Д`)
今のDSなんかよりはるかに低スペックでこの価格です(笑)
しかしこのマシンでσ(゚∀゚ )ワタスのPCライフ(笑)はかなり充実したものになりました。
この当時、日本のPC事情はNECの一人勝ちで、
8801さえ持っていればゲームソフトに関しては供給源には事足りていました。
現在と違い、違うメーカーや、同じメーカーでも機種違い(8801や9801など)で
使えるソフト、使えないソフトが有りましたので、NECのマシンを持っているのは大きな強みでした。
そのころ88シリーズのソフトは星の数ほど有りまして、良質なソフトも多かったです。
未だに続いてるシリーズもありますねー(゚∀゚)
一番衝撃を受けたソフト↓
これは未だに続いていますね^^もうやってませんがw
この頃のIT技術は日進月歩で進化していて、
PCに関しては半年も経つとスペックが倍以上に跳ね上がるなんて当たり前でした
σ(゚∀゚ )ワタスもご多分に漏れず、8801のスペックに物足りなさを感じ始めていました。
ソフトのプログラム技術の向上に合わせてデータの肥大化
やハード(8801シリーズ等の8ビットマシン)の限界も囁かれ始めました
フロッピーディスク10枚組のゲームとか面倒臭い事この上なしです(笑)
ソフトメーカーも9801用のソフト開発に主軸を移し始めたのを期に
9801シリーズを購入しようとしますが、8801のソフトも捨て切れません。
そんな中、取って付けたようなマシンが登場しました。
NEC 98DO 298,000円 1989年6月発売
なんとこのマシン、8801のソフトと9801のソフトが1台で使えるコンパチ機でした。
今で言うと、windowsのソフトとmacのソフトが
一つのハードで使えるみたいな感じです(ちょっと違いますがw)
衰退気味とは言え、まだまだ現役だった8801シリーズのソフトをムダにすること無く
9801の環境にシフト出来るので願ったり叶ったりのマシンでしたが・・・
もうね、何もかもが中途半端でして(笑)周辺機器が使えないことが多々有りまして
結構イライラしてた記憶があります。
まぁほぼゲームマシンと化していたので深刻な事態には至りませんでしたが(笑)
この頃は思考型のゲーム(SLG)を結構やってました
シュヴァルツシルト↓
後、大戦略とかATLASとかマスターオブモンスターズとかやってましたねー
シミュレーションゲーム(SLG)は膨大なデータ量と複雑なプログラムの演算処理など
8801ではスペック面で厳しいソフトでしたので、こんな中途半端なマシンでも重宝しました。
DOの発売の2年前、SHARPからとんでもないマシンが発売されています。
SHARP X68000 369,000円 1987年3月発売
ホビーユースに特化した、今までのハードとは一線を画したマシンでした。
筐体もこの当時では珍しいタワー型で、マンハッタンシェイプと銘打って
見た目のインパクトも印象的でしたね(゚∀゚)
詳しい事はグーグル先生にお任せして(;´Д`)
大雑把に言うと・・・アーケード(ゲーセンですw)ゲームの基盤が
そのまま載っかている用なモノでした。
なので、ゲームのヴィジュアル面に関しては他の追随を許さない程のクオリティで
σ(゚∀゚ )ワタスのハートを鷲掴みですよw(´Д`)ハァハァ
しかしお値段見たら・・・萎えました(笑)これは手を出したらアカンと
心のなかの小さなしば犬が囁きましたよ(´・ω・`)
そして暫くして、行きつけのPCショップの仲の良い店員さんから
売れ残っているX68000を格安で譲るのでどうする?と悪魔の囁きが( ̄▽ ̄;)
金額を聞くとディスプレイ込で13万で良いとΣ(゚∀゚ノ)ノ半額以下ぢゃあないですか!
ただ裏がありまして・・・展示品だった事と不人気機種だった事が
安さの理由だったのですが・・・
安さの理由↓SHARP X68000PRO 298,000円 1989年3月発売
マンハッタンシェイプじゃないってだけで売れ残りらしいですが・・・
スペック的には無問題ですw2つ返事でOKしました。
いや~しかしこのマシンは持て余しましたネ~(´・ω・`)
ゲームマシンとしては申し分なかったのですが、
アクションとかシューティングゲームが多くて、半ば無理やり(笑)稼働させてました。
アーケードゲームの移植の完成度が異様に高くて、それなりに楽しめましたが(゚∀゚)
グラディウスや
スペースハリアーや
その他ゲーセンで稼働中のゲームをやってましたねー
そして短大卒業と同時に東京で就職、
それに合わせるようにハードの購入はここで一区切りとなり
暫くは98DOとX68000をメインで使用することになります
この頃はまだインターネット黎明期で、一般的では有りませんでした。
雑誌ではニフティサーブやHabitatなど紹介されていましたが
今のようなHPやブログがあるわけでなく、チャットなどがメインだったと記憶しております。
σ(゚∀゚ )ワタスも世間一般と同じく、
ネットの存在は知っていても使用するには至っておりませんでした。
そして東京を離れ、埼玉の浦和に移住した頃、
本格的にインターネットに触れるようになります。
ちょっとした波乱が起きることをこの時は全く予想していませんでしたが(笑)
後半へつづく(゚Д゚)
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私が最初に触ったPCはシャープのMZ-80Bでした。
もちろん借り物ですよ^^;
by ぽちの輔 (2016-06-09 07:16)
最初に入った会社はMシリーズのFSP(OS)でした。
その頃はまだ紙テープも使ってましたね。
8インチFDに落としたパンチデータを紙テープにして、それをMに読み込ませていました。磁気テープ装置とか懐かしいです。
by tsun (2016-06-09 12:25)
あら、しば犬さんたら同世代かしら??私が自分で初めて買ったのはMacのパフォーマでした。懐かし~(^^)
by palpal (2016-06-09 18:34)
皆様nice&コメント有難うございます。
ぽちの輔さん
グリーンディスプレイの一体型のヤーツですか(゚∀゚)わかりますw
tsunさん
高校の時にあったFACOMは本体制御の端末は
先生しか使用できなかったので分かりませんが、
生徒が使う端末はすべて5インチFD仕様でしたので
紙テープリーダーとかパンチャーは使ったことが有りませんでした。
同じ市内の高校の商業科がPCの授業で来ていましたが、
その高校では1クラスに1台でPCの授業をしていて、
紙テープを使用していたらしいので
ウチの高校に、いかに最先端の設備があったのかが分かります。
palpalさん
パフォーマって一体型のヤーツですか(゚∀゚)
9801にもパクった形の物が有りました(笑)
国武万里の「ポケベルが鳴らなくて」を知っていたら
きっと同世代ですYo(´∀`)
by しば犬 (2016-06-10 00:43)
ボクは85年にX1です。ゲームの為に(~_~;)
「ゼビウス」のロードに30分以上かかってました。
学校から帰ってきたらすぐにロードを開始して、オヤツ食べて、様子見にいったらまだロード中でしたね~!
「ボコスカウォーズ」も夢中になってやってました。
その後、9801でシュミレーションゲーム・・・何度裏切られたか分かりません・・・(T_T)
今思えばあんな状態で良く売っていたなと・・・ソフトもかなり高かったのに・・・!
ゲームの話ばかりですいません(-_-;)
by ルディパパ (2016-06-10 01:12)
学生時代、データーレコーダーを買う金が無くてラジカセで代用していました。
ボリュームの上下で調整してロードが成功するポイントを探したり
今から思うと随分アナログなデジタル生活でエラく不便な時代でしたが
いい思い出ですね。(^^
by haru (2016-06-10 04:24)
6001、懐かしい~!!
私の友人がしば犬と同じ感じでPCを購入しておりました、データレコーダーの読み込み、失敗すると魂が抜けた様になりました。
9801やMSX、X1やX6800等.... FM7とFM77もあったな~。
私はビンボーでしたので、PCなんて夢の機械でしたので、家庭用テレビゲーム機に走った次第です。
by MINERVA (2016-06-10 10:34)
X68KPRO私も使っていました。
Cとか勉強しました。今から思うと、かなり原始的でしたが、DoGAの3DCGアニメーション造りとか、夢中になってやっていました。
ソフトバンクの「Oh!X(Oh!mz)」は欠かさず買っていました。当時の私は、ソフトバンクは機種別情報紙を出している会社位にしか思っていませんでした。
全て忘却の彼方ですが、X68Kはまだ実家の納屋にあります。
余りの懐かしさに、つい沢山書いてしまいました。失礼しました。
by 讃岐人 (2016-06-10 11:42)
ルディパパさん
あの当時はまだPCがマイコン(笑)と言われていた時代で、所有している人も
少なかったので、X1とかFM7とか雑誌で眺めるだけでしたね(´∀`)
ボコスカウォーズなんてファミコンで知ったですw
haruさん
その頃のPCは所有してませんでしたのが、
友人が四苦八苦してデータをロードしてたのは覚えていますw
今の若い人はフロッピーディスクはおろか、カセットテープすら知らないんでしょうね
MINERVAさん
σ(゚∀゚ )ワタスも同じ感じでしたよ~
8801を購入するまではファミコン一筋でPCは専ら友人宅で触ってましたので。
あの頃のPCの価格は今とは比べ物にならない位高価なものでしたので
おいそれと購入出来なかったですからね(´Д`)
讃岐人さん
σ(゚∀゚ )ワタスにとってX68は宝の持ち腐れ状態でしたよ(´・ω・`)
なにせゲーム専用機になっていましたからね(笑)
今考えたらもったいない話で、ここでプログラミングのスキルを鍛えていれば
また違った人生を歩んでいたかもしれません(大袈裟ですがw)
by しば犬 (2016-06-10 15:20)